君津・木更津・富津の葬儀 納骨堂 永代供養 樹木葬の圓明院
圓明院 東京連絡所
真言宗智山派
清水山
心安らぐ菩提所 圓明院について
江戸幕府15代将軍徳川慶喜の最後の孫、井出久美子さん・故安岡力也殿の菩提所

樹齢千年カヤの木と黄金に輝く観音様の見守る安住の地。
圓明院は後継者がいなくても整理されることのない永代供養墓地、お骨をお預かりする永代納骨供養を受け付けております。また、隣接する公益事業霊園「上総メモリアルヒル霊園」のご利用ご案内もお受けしております。
当山の歴史についてふれますと、開創は鎌倉時代の初期と伝えられ、この上総国に関東第一と謳われた入定寺という修験道場の末寺の一つに数えられました。時代は下り戦国の世となって、興隆を誇っていた入定寺も北条氏に加担した件より没落を余儀なくされ、当山もその難を逃れることが出来ず一時は無住となりました。再興は江戸享保年間を待つこととなり、船塚山山頂より秋葉権現を勧請し、一千座の護摩を修することで、その威徳を世に広める一役を担ったのであります。そして時代の変遷を経て、平成元年より七ヶ年計画で境内整備が進められ、「自動車祈祷殿」「永代供養墓地」「沙羅観音納骨堂」「総菩提五輪塔」「大梵鐘」など、県内最大級の規模で建立されております。(平成17年屋根改修工事が無魔成満しました。)
樹齢千年かやの大樹

樹齢千年以上とも伝えられるかやの木の大樹は、現在もなお二年に一度たわわに実を付けます。当山ではかやの木の樹齢にあやかり、健康長寿のお守りとして、ご参詣の皆様に授与しております。このかやの大樹は寺伝によりますと、熊野権現より箕輪(千葉県君津市箕輪)の入定寺(関東第一山といわれた平安中期より安土桃山時代の大寺)に詣でた僧侶が懐中していたかやの実がここに根をはり、当山圓明院の開創のきっかけになったと伝えられております。古来より、かやの実は、佛果(仏に供える菓子)として用いられ、また、腹の虫の駆除に重宝されてまいりました。とくに十二指腸虫や、さなだ虫によいとされ、古書にも「およそ虫を殺す薬は苦くて辛いが、かやの実は甘くて虫を殺すを異とする。」とあり、また「毎月はじめ早朝空腹時に数個を食べれば翌日虫は皆死んで出る」と、その効能が記されております。江戸時代より、このかやの実数個をお守り袋に入れ、真言一百万返を唱え、「福種」として参詣の信者に授けております。「福種」のお守りは、家にありては、歳徳神の方角の地中に埋めると一年間の家内安全・厄除招福に、また、懐中すれば、延命長寿に御利益があるといわれております。老木となっても、いま現在でも一年おきに実をつけるかやの古木は、当山円明院の長い歴史をみつめてきたのです。
千葉県内最大級の梵鐘

この圓明院は、鎌倉初期ごろの開創と伝えられ開山等は不詳でございます。寺伝によりますと、鎌倉時代にこの付近に関東第一といわれた入定寺という寺院がありこの末院として建立されたとも伝えられております。この入定寺は修験道を継承する寺院で修験の行人の修行の場として圓明院の裏山(およそ二km後方山頂)の船塚山々頂に秋葉山三尺坊威徳大権現を勧請しておりました。当山はこの三尺坊権現の別当寺院として役割を果たしていたと考えられます。時は下り戦国時代に至ると北条氏と豊臣氏の争いの中で北条氏に加担した入定寺は一夜にして焼き討ちに会い、その当時配下の寺院が二十数ケ院あったと伝えられますが、この期にことごとく廃寺となったと伝えられております。圓明院もこの難には逃れることができず一時期無住の時期を迎えるのです。(一五五五年人定寺焼き討ち)江戸時代に至って、圓明院再興の兆しが見え始め、一六五〇年頃には、再建されたと伝えられております。享保年間(一七一四年)に、舟塚山山頂より秋葉三尺棒権現を勧請し(現在の秋葉神社)一千座の護摩供法要を勤修したと伝えられ、これを契機に三尺坊の御利益は、広く世に知られることとなるのです。
梵鐘橦刻
下記定刻に鐘をついております。
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午前6時
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午前10時
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正午
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午後3時
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午後6時(※婆羅観音ライトアップあり)

娑羅観音
祈祷殿脇に黄金色に輝く婆羅観音さまは永代供養納骨堂上に建立されております。沙羅の華は、朝開きその夕べには花ごと落ちてしまうという誠にはかないものであります。大自然の流れからすると、私たちの一生もこの娑羅の華のように朝に生まれ夕べに死すようなものなのかも知れません。お釈迦様は、最後の説法を沙羅双樹のもとで、弟子達に行ったのち80年の生涯を終えられたのです。 私たちも、確かに大自然の流れからするとほんの一瞬 だったかも知れませんが、大いなる生命の流れの中で大切な礎となったわけです。沙羅観音納骨堂は、核家族化が進み、なおかつ出生率の低下に伴う無嫡子世帯の増加等時代の要請に答えるべく建立されたものであり、子孫に代わって当山が永代にわたって御霊を供養いたしますので、安心して永眠できる納骨堂であります。
交通安全祈祷殿

祈祷殿脇に黄金色に輝く婆羅観音さまは永代供養納骨堂上に建立されております。沙羅の華は、朝開き その夕べには花ごと落ちてしまうという誠にはかないものであります。大自然の流れからすると、私たちの一生もこの娑羅の華のように朝に生まれ夕べに死すようなものなのかも知れません。お釈迦様は、最後の説法を沙羅双樹のもとで、弟子達に行ったのち80年の生涯を終えられたのです。 私たちも、確かに大自然の流れからするとほんの一瞬だったかも知れませんが、大いなる生命の流れの中で大切な礎となったわけです。沙羅観音納骨堂は、核家族化が進み、なおかつ出生率の低下に伴う無嫡子世帯の増加等時代の要請に答えるべく建立されたものであり、子孫に代わって当山が永代にわたって御霊を供養いたしますので、安心して永眠できる納骨堂であります。